2023年ジャニーズの性加害問題で矢面に立ち、インタビューなどで話題なった東山紀之さん。
そんな東山紀之さんですが幼少の頃の生い立ちが壮絶だったそうなのですが、どのような生い立ちだったのでしょうか?
この記事では
- 東山紀之の生い立ちについて
- 東山紀之がジャニーズ事務所に入ったきかっけは?
- 東山紀之の母親の2024年現在について
これらについて見ていきたいと思います!
東山紀之の生い立ちが壮絶!
東山紀之さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?
時系列で見ていきたいと思います。
生い立ち①:左足に大火傷
まず1つ目が左足に大火傷を負ったことです。
東山紀之さんの父方の祖父はお酒が好きでよく酔って暴れることが。
そして東山紀之さんが生後8ヶ月の時、母親が仕事でいない時に祖父が酔ってポットのお湯を東山紀之さんの左足にかけてしまいます。
東山紀之さんは足に大火傷を負い、火傷の後遺症で左足の形が変形。
東山紀之さんはこの火傷のせいで幼少の頃は他の子と比べて立ったり歩いたりすることが遅く、発達状態も良く無かったのだそう。
そして東山紀之さんは今でもドラマや舞台で下駄や草履を履いた時に左足が少し痛んだのだそう。
小さい頃で記憶は無いかもしれませんが、熱くて痛かったと思います。
生い立ち②:父親の借金が原因で両親が離婚
2つ目が父親の借金が原因で両親が離婚したということです。
東山紀之さんの最初の父親も祖父と同じで大酒飲み、そしてギャンブルが好きで借金を抱えていました。
東山紀之さんの自宅には借金取りが毎日来て母親は土下座して謝罪。
東山紀之さんはそんな母親の姿が頭から離れず今でも脳裏に焼き付いているのだそう。
そして母親はそんな父親に対して「離婚して下さい」と土下座。
東山紀之さんが3歳の頃に両親が離婚します。
そして母親は東山紀之さんに
- 「男の人は結婚したら変わる」
- 「大人になってもお酒は飲んではダメ」
- 「ギャンブルもダメ」
と常に言い続けてきたのだそう。
母親はその後父親の写真は隠し続けてきたので、東山紀之さんはこの最初の父親の名前も顔も知らずに育ちました。
しかし一枚だけ偶然見つけたことがあり、とてもかっこよかったと振り返っています。
そして東山紀之さん自身が祖父について「ロシア人の血を引いていた」と語っていたことが。
その為東山紀之さんの祖父がロシア人とのハーフで、父親はロシア人とのクォーターと思われます。
その為東山紀之さんは「1/8(ワンエイス)」ということに。
実際東山紀之さん自身もこの事については
「僕自身にもロシア人の血がクオーターだか八分の一だか分からないけど流れている」
と語っていました。
借金をしても血の繋がった父親であることには変わりないので、顔を見られただけでも嬉しかったのかもしれませんね。
生い立ち③:コリアンタウンへ引っ越し
そして3つ目が両親の離婚後コリアンタウンへ引っ越したことです。
東山紀之さんはご両親の離婚後、母親と妹と一緒に神奈川県川崎市桜本のコリアンタウンに引っ越しました。
東山紀之さんの母親は2人の子供を育てる為に、美容院で働き詰めの毎日だったのだそう。
しかし母親が毎日働いていてもやはり家は貧しく、食べる事も大変でした。
そんな時妹は近所の友達の家で余りものを、東山紀之さんも近くの焼肉店で余りものの豚足をもらってりして空腹を満たしていました。
東山紀之さんは今でも支えてくれた地域の方に感謝しているそうですよ。
その後東山紀之さんは小学校2年生の時に抽選に当たり、川崎市の市営住宅に引っ越します。
生い立ち④:母親の再婚
そして4つ目が母親の再婚です。
東山紀之さんが小学校4年生の頃、母親は4歳年下のトラック運転手の方と再婚。
この2番目の父親は最初は優しく東山紀之さんの「東山という性を変えたくない」という意志を汲み、初婚で東山家に婿入りに。
しかしこの2番目の父親もお酒が好きで徐々に母親、そして東山紀之さんに対しても暴力を振うように。
さらに暴力を振われた東山紀之さんは、母親から「お前が悪い」と言われてしまい本当に居場所が無かったのだそう。
そんな母親と2番目の父親ですが東山紀之さんが25歳の頃に離婚。
当時の東山紀之さんや妹さんの事を思うととても胸が苦しくなりますね。
生い立ち⑤:母親の借金
そして5つ目が母親の借金です。
東山紀之さんの母親は美容師として働いてはいたものの生活は安定していませんでした。
母親は東山紀之さんの事を思い、自分の店を持つことを考えたりマンションを購入したりしましたが、バブル崩壊後借金だけが残ったとのこと。
そしてその借金は東山紀之さんが7年~8年かけて返済。
この出来事から東山紀之さんは自分は商売には手を出さず芸能界で生きていこうと決意。
もちろん母親は東山紀之さんと妹の事を思ってマンションを購入したりしたのだと思うので、東山紀之さんは怒っていないと思います。
そして東山紀之さんのこれまでの生い立ちがあったからこそ、これまで長く芸能界にいることが出来たのかもしれませんね。
東山紀之がジャニーズに入ったきかっけは?
そして東山紀之さんがジャニーズに入ったきかっけは何だったのでしょうか?
実は東山紀之さんが小学6年生の時の1979年、母親は当時渋谷のNHKの職員用の美容室で働いていました。
その美容室のつてで、当時大人気番組だった『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットをもらった東山紀之さんが、川崎の自宅から渋谷へ向かう時運命の出会いが。
渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしている東山紀之さんに、なんとジャニー喜多川さんが車の中から声を掛けてきたのだそう。
その時の会話が
ジャニー喜多川:金八先生見てる?
東山紀之:見てます
ジャニー喜多川:じゃあ、電話番号教えて
でした。
この時が東山紀之さんとジャニー喜多川さんの最初の出会いです。
一度は断っていた!
そして東山紀之さんは名刺をもらったものの芸能界に興味は無く断るつもりでした。
しかし失礼になってはいけないからと、母親と妹と一緒にジャニー喜多川さんの車で横浜の中華街に食事に行くことに。
ところが行く途中で妹さんの気分が悪くなり、車の中で吐いてしまいます。
結局ジャニー喜多川さんを東山紀之さんの自宅に招きお寿司を食べ、きちんと芸能界入りはお断りしたのだそう。
しかし東山紀之さんは車を汚してしまったお詫びに後日菓子折りを持ってジャニーズ事務所にいるジャニー喜多川さんを訪問。
そこでジャニー喜多川さんより
YOU、踊っちゃいなよ!
と言われた東山紀之さん。
しかし踊ってみるものの体が思うように動かず、みんなの前で恥ずかしい思いをしたのだとか。
そして「ステップ」が出来るまでという前提でジャニーズ事務所に通うことに。
この出来事以来東山紀之さんは2023年までずっとジャニーズ事務所にいることに。
そして東山紀之さんの妹さんも
今のお兄ちゃんがあるのは私が吐いたおかげよ
と言っているのだそうです!
東山紀之さんはこの時から2023年まで38年間ジャニーズにいらっしゃったのでやはりすごいですよね。
東山紀之の母親の2024年現在は?
そして東山紀之さんの母親が2024年現在どのようにしているのかは分かりませんでした。
しかし東山紀之さんの母親はおそらく80代くらいのご高齢ではないかと思われます。
そして現在もご存命で東山紀之さんの活躍を楽しみに拝見しているのだと思います。
幼少の頃一生懸命育ててくれた東山紀之さんの母親も、ジャニーズ事務所の社長として活動する息子の事を暖かく見守っていくのだと思います。